水曜日のダウンタウンの、二つ目の楽しみ方
こんにちは、AZOです。今回はあるテレビ番組について思ったことがあるのでそれについて書いてみようと思います。
日本を代表する様々な芸人が独特の’説’を持ち寄り、検証している番組、『水曜日のダウンタウン』。
その説のクセやコメントによって独特の切り口から面白いVTRやトークが流れていて、個人的にお気に入りの番組の一つです。
シンプルにバラエティ視点で見たときに十分楽しめるこの番組ですが、今回は違った視点からこの番組の面白さを考えてみようと思います。
芸人が持ち寄ってくる様々な「仮説」
『水曜日のダウンタウン』では、面白いバラエティ要素だけでなく、世の中の出来事に対して仮説を立てて検証するという科学的、ビジネス的要素が含まれているのです。
この番組では、芸人が仮説を持ってきています。そして、その検証VTRを通じてその仮説を検証しています。場合によってはちょっとしたサブ仮説のようなものも立てられ、検証されていますが、そのような科学的、ビジネス的視点でこの番組を捉えるとどう捉えることができるのでしょうか。それでは、いくつかの例を見ていきましょう。
仮説1:浜田の「結果発表」でカラス撃退できる説
矢作さんが唱えたこの説、着目したポイントが非常に面白くて、個人的に好きな説です。
ここでは、ダウンタウンの浜田さんの「結果発表」の迫力がすごくて、声だけでカラスが撃退できるのではないか、といった説が含まれています。そして、実際にゴミ置場に集まるカラスを利用して説を検証しています。その検証方法は下の通りです。
1.「結果発表」の音声を流す”浜田カカシ”を作成し、早朝の上野駅周辺のゴミ置場に設置して、カラスが集まったときに音声を流して検証
→カカシを設置したことによってそもそもカラスが集まらず、効果が検証できず。
2.「結果発表」の音声を流す”浜田カカシ”の頭部のみを同じゴミ置場に設置し、音声によって検証
→音声を流した瞬間にカラスが一目散に逃げ去り、撃退に成功
この二つの実験を通じて、番組上では説が立証されていました。
これを観ていて、僕は面白いと思った反面、説の立証としての物足りなさを感じました。ポイントは検証プロセスにありました。
確かに浜田さんの「結果発表」によってカラスが撃退できたので、立てられた仮説を証明することはできています。しかし、いくつか疑問が残りませんか?
例えば、僕の場合、パッと
・浜田さん以外の音声だとカラスは逃げないのだろうか
・「結果発表」以外の浜田さんの音声ではカラスは逃げないのだろうか
・音量は浜田さんが言った時と同じものだろうか。カラスが逃げるかどうかは音量の問題なのではないだろうか
といったところが気になりました。
そして、そのようなことを考えたときに、浜田さんの「結果発表」の迫力のすごさを示すためには検証プロセスが不足していること、そしてそもそも立てられている仮説が不十分であるという風に考えました。検証プロセスは上に述べたようなものを加えるべきですし、立てられた仮説も”浜田の「結果発表」は他の人のものより迫力がある”と言った具合に修正する必要があります。
こんなことは気にしなくても普通に面白いのですが、こうやって捉えると見方が変わってきませんか?
仮説2:水族館にいるウニ、栗に置き換えても気づかない説
こちらの仮説も、芸人ならではの着眼点で面白く仕上がっていましたね。こちらの説も先ほどと同様にみてみましょう。
検証方法:
1.水族館にいるウニを栗に置き換えて、1営業日でモニタリング、ウニを見て栗だと気づく人がいなければ立証
この説は最終的に数人の子供が水槽の中を見て第一声として「栗じゃん!」と言ったところがカメラにおさめられており、仮説は棄却されました。大人と比べて個体概念に囚われていない子供だからこそ、水槽の中にあるものがウニではなく栗だということに気づいたという風に捉えられていました。
さて、一見正しそうにも見えるこの検証ですが、個人的に大きな疑問が残りました。
それは、”子供が第一声で「栗だ」と言ったことが、ウニと栗を見分けられている証拠として捉えられるのか”ということです。
このVTRの冒頭でも何人かの子供はウニが何であるかを知らないような部分がありましたよね、おそらく、栗は知っているけどウニは知らない子供は少なくないのではないでしょうか?
そのような子供は水槽に入った栗を見たときに、それは他にトゲトゲしたものを知らないために栗と認識した可能性はないでしょうか?ウニを知らなければ、水槽に本物のウニが入っていたとしても、トゲトゲしたものとして栗であると認識する可能性は大いにありますよね。
このようなツッコミ所を解消するには、被験者をウニも栗も知っている大人に絞るなどが有効であると思います。
仮説の立て方、検証の仕方を考えてみる
『水曜日のダウンタウン』は一見普通のバラエティですが、これまでに述べたような仮説検証のプロセスという視点で見ると、また違った視点で見ることができそうですね。
具体的には、立てた仮説は一体何を確かめようとしているのか。浜田さんの『結果発表』の迫力を確かめたいのか、あるいは浜田さんの声量を確かめたいだけなのかだけでも検証することは変わってきますよね。そして、検証の方法。その検証方法は正しく説の正しさを検証しているのかというところでみると面白そうです。
もちろん、普通のバラエティとして楽しめるのが良いのですが、こんな見方もしてみてはいかがでしょうか?